2017年 1月3日
私は、亡くなって7年になろうとしている父を好きだったんだろうね。数奇な人生だった父のなるべく多くを、私の後の人たちに知っていてほしいと願う。で、その母親を私は知らない、でも、父が残している文章や、アルバムの写真などで、わずかな情報を知ることができる。そこで今、それをまとめて残す事にして行動をしてみている。
でも、思うんだけど、父にもその母親にも、今の私の気持ちが伝わるはずがない。この世にいないんだから。
今の私の気持ちが、父の生きているときに芽生えて、それを父に表せていたら、父は喜んだに違いない。もちろん、父が生きている間には、いっぱい親孝行をしたよ。
今、思うに、父の数奇な人生を、生きている間に、きっちりわかってあげて、父と共有できていたらなー、もっと積極的に話を聞けばよかった。
父の、母親の話をもっと、突っ込んで聞いてあげたらよかった。父の話を聞きながら、系図をまとめ上げるのって、素敵だったかもしれない。
ちょっと角度を変えて考えてみよう。
死んでから、後の人たちから、なんとも思われない人っているんだよ。つまらない生き方をした人。
でも、生前に、立派にふるまっていた人が亡くなった後、残った人たちから、なんとも思われないのって素敵だと思わない?
大事なことは、生前、生きている間に十分な触れ合いをするということなんだね。そうすれば、気持ちよく死んでいって、気持ちよく天国に送り出して。
そのあとの後悔はない。行く人も残る人もさわやか。そこでおしまい。そんなことってあると思う。
そんな立場で死んでいくのが私だとしたら、そして、生きている間に、こんなことを考えている自分だったら、今、みんなと楽しく触れ合っている間に、私がいなくなった後に、私しか使わないもの、私にしか役に立たないもの、を残さないように、処分しておくべきと考える。そのほうが 大好きだったみんなに負担を残さないで済むような気がするね。今年は、自分のまわりにある自分だけの物を見極めて、処分しようと思っている。自分だけのものって意外にいっぱいあるんですよ。
私の話はこれでおしまいです。皆さんにきっちり私の気持ちが伝わったか、きっちり言えたか、不安です。また、後で読み返してみます。

1月9日
二日前に、家のすぐ前の小さな川の向こう岸で、「ドン」と鳴った。出てみたら、軽トラが止まっていて、一人が、すぐ下の藪に降りて行って、大きなキジを持って上がってきた。気になって出ていた、隣のお父さんに向かって、「ほら、こんなにおっきいど。」と言っていた。
(きっと、あのキジは、いつも、この庭の中や、土手をとことこ歩いていたキジに違いない)--こんな思いがよぎる。昨日今日 哀れに思えて、とても悲しい気分だ。いわば、私のテリトリーで遊んでいたキジだ。今でも、とことこ歩く姿が浮かんでくる。
でも、たかが人間とキジ。人と人の 哀れを感じる思いっていっぱいあるんだよね。ここを読んだ皆さんに、哀れを感じる出来事が発生しませんように祈ります。
1月14日
今朝、昔勤めていた会社での夢。得意先の女性が 「Kさんって48歳だったっけ?」に対して私は、「違うよ、違うよ、もっと上だよ。」と答えた。
そのあと、夢が覚めそうになってから、「そうか、昔の出来事なんだな。じゃ、48歳でよかったのか。」と気が付いた。今の年齢で答えてしまったよ。
1月25日
「僕のあだ名を知ってるかい」と歌ったところで、ももと遊んでいた たっけがこっちに振りむいた。いつもと様子が違うので、「どうした?」と聞いたら、「次どうなるのかな?と思って」だって。さりげなく続きを歌った。「朝刊太郎というんだよ、新聞配ってもう3月、雨や嵐にゃ慣れたけど、やっぱり夜明けは眠たーいよ。」---とっても純な歌だね。山田太郎さん、元気でいるんだろうか。
2月19日
先日、朝起きたらももがいない。脱走を知ってから、まもなく、川を越えた向こうの一番高い場所の家から電話が入った。そこに車で迎えに行った間に、電話が入ったとの事。今度は、ちょっと下がった家からだった。私は、大きな声で名前を呼ぶのが恥ずかしいから。すぐ家に戻った。間もなく妻が、歩いてそっちの方面に向かってすぐ、近くの家の裏から出てきたのを見つけて、逮捕。
後日談、二番目に電話くれた家のすぐ下の、女の子の孫が、ももに「ももは、いい子だねー。やればできる子だよ。」と何度も話しかけていて、ふと、「この前、庭に犬の足跡があったけど?」と言う。今は雪だからくっきり残るんだよね。「うん、ももだよ。」と答えた。
なおの後日談。今度は、妻が、そばの家のお母さんから聞いた話。「向かいのおじいさんが、熊が出たみたいだ。と言っていた。」だって。
そして、昨日の朝、また脱走。むかいのまさみさんが、朝早く、見かけた旨を知らせに来た。間もなく、いつもの散歩の時間に、探しに行こうか、と靴を履いたら、外から、ももが見上げて待っていた。自首して出頭してきたのは初めて。とてもうれしかった。
誤解のないように言っておくけど、結んでいるロープがほどけたり、切れたりしてのことだよ。
2016年1月1日
上に三日月の話をしているけど、今朝見た月はぜんぜん違った場所にあった。金星も相変わらず、側にいた。
「場所が変わっているのはどうしてだろう?」と、思う人は科学者になり。「きれいだなー。」と思う人は美術家になる。--なーんてね。

1月14日
私が、ここの つまり妻の家の姓に変わって、2年かなー、3年かなー。ふるさと戸賀を思うとき、亡き父の面影が このままだと、消えてしまいそうで怖いのです。
戸賀を守ってくれる家族、離れていても、戸賀を思い続けてくれる家族に、父と母を育ててくれた親たちとその周りの環境を なるべく正確に残したいなーと思い立っています。系図をまとめようと思います。大きな、今年のテーマです。

2月8日
昨日の夜の夢。弟が小さい猫と散歩していたら、道端に男の人が寝ていて、その猫が激しくほえた。あわてて弟が止めようとする。私が猫を抱き寄せて、歩き出した。しばらくして、ふと、「あの人は寝ていたのでなく、倒れていたんじゃないのかなー。」って気がついた。
さて、ここで皆さんに問題です。その後私はどうしたでしょうか?5秒間考えてください。ーーーはい、答えは「引き返さないで、夢をストップした。」です。

2月16日
昔、昔 大昔の出来事です。小学校3年位かなー?学芸会の 劇の一こま。舞台の真ん中に一人いて、そでから、同級生役の私が走ってきて、「クニ、もう行っちゃったのかと思って心配したよ。」と言うせりふ。次に先生役が走ってきて、「駆け足で上ってきたら 疲れた、疲れた。」のせりふの予定、だったけど、最初に登場した私が、先生役のせりふを言っちゃって、思わず舞台の反対側の下で見守っていた原田先生を見やってしまった。先生は、頭に手をやって、「あちゃー。」と言っていたよ。先生って大変だね。当時の私は頭がよくって、みんなのせりふも覚えてしまっていたんだよ。

4月24日
数日前、工房の窓の外で、アスファルトの舗装修理をしていた。機械に乗っていた人が、他の人に向かって「まだ、えふな」と言った。
その瞬間、私は耳を疑った。すぐメモっておいた。懐かしい言葉。でも、どこで使った言葉だろう。ここの地区の人は使っていないそう。
じゃ、やっぱり、ふるさと戸賀の人たちかなー。昨日、そこの会社で働いている友人に聞いてみたけど、その人がどこの出身か確認できなかった。きっと面白い男だぞ。古い言葉を自信満々に使うんだもの。「まだ、よこすな。」の意味だよ。

久しぶりの7月14日
ごったガーデンで草取りをしているとき、植木の中から虫を見つけます、すぐつまんでつぶしてしまいます。大きな毛虫を下に落として、踏んでしまった その瞬間にいつも思います。「今の瞬間までは自分が死ぬなどと思っていなかったんだろうになー。俺がこの虫を殺して、どこが変わるんだろう、見ないふりをしていても、いいんじゃないのかなー。」---などと。地面では、ミミズがしょっちゅう出てきます。お日様が出ているときは、すぐ死んじゃうんだろうから、そばの日陰にぽいっと、放ってやります。山椒の木についている虫は、きれいな目をしているんですよ。でも、つまんじゃう。世の中、自分が中心じゃないんだよね。虫の立場も分かってあげたいけど。

9月11日
「ごったガーデン」で空を見上げた。向こうから、渡り鳥のグループがやってきた。体は黒、頭の部分だけが赤っぽい、大きな鳥たちだった。でも、そんな風景は珍しくもない。感動したのは、グループの多さだった。1グループ 多くて65羽、少なくて25羽、そんなグループがわずかの距離を置いて、11個続いた。そして、最後に3羽のグループが後を追いかけていた。結構隊列が乱れる、でも、すぐ軌道修正していたよ。
どこからやってきて、どこに行くんだろう、あの3羽はどうしたんだろう、などと、空の上から見たら、小さい小さいであろう私は、自分の小ささを知る。
12月5日
私は、荷物を送るときに必ず短いコメントを入れる。今日発送した荷物に「今年初めての雪一面」と書きたかったのに、「始めて」と書いてしまった。包装を閉じてから気がついたので そのままにしてしまった。
いつも会っている人だったら、言い訳がきくし、「うんうん、やりそうなことだ。」と見逃してもらえそう。
でも、私たちって、その場が過ぎたら、もう会えない場合ってあるよね。
なるべく慎重に行動したい。なるべくね。

12月10日
3日前の朝6時過ぎ、ももと散歩の途中 きれいな 細い三日月が見えた。すぐ側に大きな輝く星があった。
きれいだったよ。次の日も見えた。妻に話したら「あの星は金星なんだって。」 すごいと思った。あれが金星かー。
「感動って視線の角度を工夫すれば見えてくるのかも知れない。」と思ってすぐ、視線を下に移した。
霜が降りた草って、とてもとてもきれいだったよ。
でも、この感動って 私だけのものなんだよね。決して人に押し付けちゃいけない。人それぞれなんだものね。

12月14日
朝、5時45分頃の話。
ももと散歩の準備が出来て、「さー、出発するぞ。」と言ってから、「あれ、まだ起きていなかったんだ。」と気がついた。夢って面白いね。

11月10日  暗い話でごめんなさい。
つい先日までは、人って、死ぬときに「あれもやればよかった、これも、まだ志半ばだったのに、あー、情けない。」って、死んでいくのか、と思っていたよ。
でも、気がついた。「俺が死んだ後に、家族はどうなるんだろう?大丈夫に暮らしていけるんだろうか?」って、思いながら、死んでいくんじゃないのだろうか。自分のことなんか、考えないんじゃないのかなー?
だとしたら、今の内に、家族のことを真剣に考えておかなければならない。私は、東京で一人暮らししている娘や息子のたっけの事をもっと真剣に心配しなければならないのかもしれないぞ。

11月10日  先日、立ち寄ってくれた古い友人が、私の「わなげ」を買ってくれて、とてもうれしかった。
でも、そのわなげに、「せっかく立派に作ってあるんだから、記念に、君の名前と、今日の日にちを入れてくれ」と言う。
私は、一生懸命に磨いた作品を自分でよごすのは嫌だった。結局、彼が自分で私の名前を書き込んでいたよ。
子供たちには、きれいな姿の作品で遊んでほしかったなー。
見解の相違ってあるんだね。
2015年11月10日記
以前、いっぱい項目に分けて私の独り言を読んでもらったものです。もちろん、その独り言は、私の大事な歴史ですから残しています。が、また、皆さんに、今の私の心を読んでもらいたくなりました。
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