エピソード1
高校に合格して、入学前の事。どんな理由だったのかなー?ギターを弾きたくなって、父におねだりした。
滝川の親戚に行って、帰りのバスに乗ったら、同じバスに父が乗っていて、ビニールのケースに入ったギターを持っていた。それから私のクラシックギター人生が始まるのである。4000円のギターは金属弦だった。間もなく、ナイロン弦に張り替えて、「ちょうちょ」から始まったんだっけ。(追記ー映画で、小林旭が海辺でギターを弾いていたのが、かっこよかったからだった。)
エピソード2
大学入学して数日後だったかなー。構内に入ると、いっぱいの部活の勧誘が行われていた、それぞれ椅子と机が一個ずつあって、回りに数名が私たちに声をかけている状態。「合気道」の文字を見てすぐ思い立ったのは、すごい偶然だったんだけど、高校3年の時、父がシングルレコードを買ってきて、その曲名が「花の合気道」だったこと。十和田なんとかさん、という女性だったんだけど、いい歌でねー。「合気の道は一筋に 己を磨くためにある。これぞ合気の神髄と?心が輪を招く。」
これを気に入って歌っていたところに、この場所で もう一つ偶然が重なったんです。何と声をかけてきてくれた人が南高校の1年先輩でした。ものすごいズーズー弁で、こっちが恥ずかしくなるくらいの人でした。即決断しました。
やがて、道場で新入り挨拶の時に、「趣味はギターです。」と言ったら、先輩たちが大声で、「なに?ジタ―だって?」と笑っていたよ。それというのも、あの渡辺先輩が、変なイメージを植え付けていたからだ。私自身で何度もギターとつぶやいても、ジタ―には聞こえてこないんだぞ。
同輩と先輩たちに恵まれて、楽しい4年間でしたよ。(追記、素晴らしい後輩たちを持ち上げるのを忘れていました。)
エピソード3
入社して間もなく、男子寮でテレビを見ていた。若い侍が、恋人の屋敷の前で、中にいる彼女が弾いていた箏の音に聴き入っている場面で、私は、その曲が耳に残ってしまった。間もなく、会社から借金して、20万円の箏を買った。休日出番の時は、車に筝を積んで出かけて、先輩たちの机の上をかたずけて、その上に筝を広げて、私も机の上に座って、練習したものだよ。間もなく、その曲が「みだれ」だということがわかって、お琴の先生についたものです。発表会の荷物運びを、関係ない 私の友人に手伝ってもらったので、先生が「頑張ってもらったから、あなたの今回の参加費はもらわないわ。」と言っていたのに、後になって「参加費まだもらってないわね。」というものだから、すぐ、その先生からおさらばだった。もちろん参加費は何も言わずに払ったよ。
次に、会社の上司の奥さんがお琴の先生であったので、今度は、最初から「みだれ」を弾くためだけに弟子入りをした。楽しかったよ。もちろん、今でも弾けるよ、暗譜はできていないけど。そうそう、得意先の、私をいくらか好きでいてくれた女性も、少しの間一緒に習っていたよ。
エピソード4
会社にクラシックギターを弾く先輩がいて、月謝を払って習ったよ。ここでは、私が好きになった女性も誘って、一緒に習ったものです。
当時はイエペス、セゴビア、日本では阿部保夫さんの活躍している時代でした。
エピソード5
妻の父が亡くなったものだから、大館支店勤務をお願いして、ここで暮らし始めたら(ここは会社まで25分)、田んぼも畑も山もいっぱいある家でした。とりあえず、荒らしている畑をやり始めました。もちろん遊び感覚でね。まもなく、妻の弟が亡くなっちゃって、彼が参加していた「桐を育てて売るグループ」に代わりに参加して、売る時期になったとき、値段が安くなっててね、業者に渡したくなくて、みんなにお願いして、私に渡してもらった次第なんですよ。だから、大事な大事な桐を最後まで使い切ることが私の目標なんです。使い切ったときに、グループだったみんなを集めて、一献差し上げるのが最後の目標なんです。

そろそろ手をとめましょう。読み返さないで置きますよ。近頃始めたフェイスブックのお友達のために書きました。
フェイスブックって、あまり自由に操作できないから、一日1枚の写真を載せることだけを決めています。それ以外、自分を出せる場所って、
やっぱりここだから、これからもホームページは大事に更新していきますよ。よろしく。
昭和23年5月2日生まれ。

男鹿市立戸賀小学校、中学校
県立秋田南高等学校 (秋田市に下宿)
東北学院大学(仙台市に下宿のちアパート)
和光薬品勤務(のち、サンエス、のちバイタルネットに社名変更)
       秋田本社(男子寮、アパートーここで結婚)
       能代支店 (アパート)
       大館支店 (妻の実家、ここ北秋田市鷹巣で暮らし始めて現在に至る)
        2009年退社、以後フリー
大事なことを忘れていました。この後でここの家の姓、岩谷になりました。それまでは浅野だったのです。  
2017年 4月1日記
ながーい、ながーい、自己紹介。
2016年6月11日の私。
「太陽を見てまぶしがっている様子に演出。」
場所は「ごったガーデン」
名刺の裏
私には 桐細工のほかに
     もう一つの遊びがあります


小さなお庭つくりなら  お役に立てると思います
一緒に「植木コーナー」と「ごったガーデン」を
散策しましょう
きっと イメージにかなった植木や草花が見つかります
相談して お値段をつけましょう
ぜひ 私を思い出してください
桐のやさしさ
     やわらかさを
         感じてほしい


            夢追い人ゆった
      きりこ工房     岩谷 裕

秋田県北秋田市栄字摩当13
   Tel,Fax   0186 62 0195

http://kiriko.sakura.ne.jp
yukaccho@image.ocn.ne.jp
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